「調子がいい日ほど2倍やらない」私が計画で禁じている理由
日曜の朝、予定していた範囲が思いのほか早く終わった。頭は冴えているし、時間もまだある。「今日は調子がいいから、明日のぶんまで進めておこう」——。
学習計画の相談を受けるとき、私はこの判断をやめてもらうようにお願いしています。土地家屋調査士や行政書士のような長丁場の資格に挑む方の計画にも関わってきましたが、お伝えするルールはいつも同じです。調子がいい日ほど、予定の分量で手を止めてください。
一見、もったいない話に聞こえると思います。やる気があるのに、なぜ。
「2倍やった日」は、翌週に請求書が届く
調子に乗って進めた日の代償は、その日には現れません。数日から1週間ほど遅れてやってきます。
まず、基準が上がります。1日30分・見開き2ページと決めていたのに、ある日4ページ進むと、翌日から「2ページでは物足りない」と感じ始めます。数字の上では貯金をつくったはずなのに、感覚の上では「4ページやれる自分」が新しい標準になってしまう。
すると、計画どおりに2ページやった日が「サボった日」に変わります。実際には何も遅れていないのに、です。
そして本当に忙しい日が来て、30分すら取れなかったとき、帳簿は一気に赤字に見えます。「あの日は4ページできたのに、今日はゼロか」。この落差が自己嫌悪を生み、自己嫌悪はテキストを遠ざけます。私が見てきた限り、挫折は「できない日」からではなく、「できた日の反動」から始まることのほうが多いのです。
大学受験で、私は同じ失敗をした
偉そうに書いていますが、これは私自身の失敗の話です。
私は天才ではありませんでした。大学受験のとき、春先にやる気に任せて1日10時間机に向かい、2週間で燃え尽きて、1ヶ月近くまともに勉強できなくなった時期があります。あとから計算してみると、10時間の日を数日つくるより、2時間の日を毎日続けたほうが総量は多かった。
その反省から、私は計画を30分単位に刻み、1日の分量を「どんな日でも必ず終えられる量」まで削りました。物足りない日がほとんどでした。それでも、本番までの長い期間を最後まで走り切れたのは、あの物足りなさのおかげだったといまは思っています。
意欲は天気のようなもので、晴れの日もあれば雨の日もあります。天気に合わせて走る距離を変えるランナーは、長い距離を走れません。
余力は「使う」ものではなく「残す」もの
具体的には、二つのことをセットで決めています。
ひとつ、分量に上限をつける。「最低30分」ではなく「30分たったら、キリが悪くても閉じる」。下限だけの計画は、調子がいい日に必ず上振れします。上限があるからこそ、明日も同じ量で満足できます。
ふたつ、余った意欲は量ではなく記録に使う。「今日はまだやれたな」と感じた日は、その感覚を手帳なりアプリなりに一言だけ書いて終わりにします。書き残した「やれた感」は消えずに残って、翌日机に向かうときの引力になります。その場で分量に変えてしまうと、翌週の赤字の種になります。
「常に少し物足りない」状態は、裏を返せば「常に余裕がある」状態です。余裕がある人は、急な残業にも、体調を崩した日にも、計画を壊さずに対応できます。長丁場の資格勉強で最後にものを言うのは、頑張れる日の最大値ではなく、最悪の日でも崩れない最低ラインです。
おわりに
「調子がいいから2倍」を禁じるのは、意欲を軽んじているからではありません。むしろ逆です。意欲をいちばん長持ちさせる使い方が、「今日は使い切らない」ことなのです。
とはいえ、上限で手を止めるのは、一人だと想像以上に難しい。進みたい気持ちにブレーキをかける役は、自分の外にあったほうがうまく働きます。私自身、計画を人に見せて「今日はここまで」と言ってもらえる状況をつくってから、ようやくこのルールを守れるようになりました。